木を売るということ

 農業をやっている仲間から相談の電話。「今、畑の横のカラマツを
倒しているんだけど、この木は売れるかな?」

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 情報が少なすぎて即答できないので、仕方なく現場へ…。
 そして結局、いろいろな事情から、私がすべて造材をすることになり
ました。

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 この”事情”がポイントだと感じます。手短に言ってしまえば林業の
煩雑さということになるでしょうか。木を倒すのは良いけれど、そこからの
手間が大変なのです。そしてこの手間が、大きく分けてふたつある
ことに改めて気付き、かつ、ふたつ目に述べるものの方が、問題として
桁違いに根深いな、と感じた次第です。

 以下、主に同業者向けです。長くなります…。
 木が身近にならない理由ともクロスオーバーしているのかもしれません。

 ひとつは、物理的な手間。
 倒した木の枝をはらい、引っ張り出し、曲がり方に応じて規格の
寸法に裁断し、トラックに積み込んで売り先へ搬入するという、
危険や重労働が常につきまとう手間です。
 ところが依頼主の友人は、この手間については実にあっさりと
納得しており、問題視しませんでした。

 
 分析してみると、彼にとって、木を倒し現金に換えることが、畑の
貸主に貢献するというミッションをもったものである以上、外国人実習生が
居るうちは、「かかる物理労働をすることなど、農業の延長でしかない」と
いうことのようです。
 ところがです。もうひとつの手間 -それはソフト的な手間とでも呼べる
のではないでしょうか- に直面したとたん、彼の反応が激変しました。
 木の曲がりに応じた採寸のバリエーションを説明しはじめたとたん、
「材木って、そんなに面倒くさいものなんですか。とてもついて行けない。
金は出しますからやってください」という話になったのです。

 
 さらにソフト面での衝撃は続きます。納品先として、同じ村にある
製材所の存在を、村で生まれ育った彼に私は説明しなければならな
かったのです!!
 このことは、村の多くが人工林で占められている村で、すでに
カラマツ林が何の存在でもなくなっている現実を、改めて強く感じさせて
くれました。
 長くなるので、今夜はこのへんでやめておきます。