五郎山(ごろうやま)

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 もう先週のはじめのことになってしまいましたが…。
 
 村に暮らす、山の大先輩と登山をしてきました。山の名は「五郎山」
川上村に入り、千曲川沿いの県道を走っていると、右手東南東の奥手に、
秩父連山から離れてこんもりと見えてくる、二つのピークに見える特徴的な
山がそれです。
 
 それほど遠くない山へ、いろいろと世間話などをしながらのゆったりと
した時間。頂上に到着すると、また村を眺めながら「あの沢は、あんなふうに
見えるんだ」とか、「あれは誰某の畑だ」など、とても楽しい会話が
はずみました。
 
 Hさん、秋になったらまたおつきあいください。どちらを向いても山だらけ、
今度はどこに行きますかね??

御陵山(おみはかやま)

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  毎年お世話になっている、東京の町田市自然休暇村さんのツアーの手伝いで、
11日、お隣の南相木村との境にそびえる御陵山(おみはかやま)1822mに
登ってきました。
 
 標高1640mの馬越峠(まごえとうげ)まで自動車で登ってしまうので、
比較的ゆったりとした稜線歩きの登山です。ちょうどアズマシャクナゲとミツバ
ツツジが見ごろを迎え、ヤマツツジがちらほらと開き始めていました。
 
 お天気も良く、参加した約40人の皆さんも頂上からの眺めを満喫した様子
でした。
 このツアーは人気が高くリピーターも多いのですが、どれほど詳しく説明しても
多様な方が参加するため、今回も少し心配な点がありました。
対象がどんなに行きやすい低山でも、それが登山である限り、わずかの油断で
楽しい思い出どころではなくなる危険を秘めています。心配事は来期への反省材料と
して活かしてゆきたいと思います。
 

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下見の際に頂上から村内(御所平方面)を撮影したもの。いちめん白く見えるのは
畑に張られたビニールマルチです。

松代の大本営

 村の公民館活動の取材のため、昨日行われた歩け歩けの集いに
参加してきました。
 
 場所は長野県長野市松代町。歩け歩けの感想はともかくとして、途中
立ち寄った松代大本営の象山(ぞうざん)地下壕での画像を掲載して
おきます。

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 帝都の防衛にかげりが見え始めた昭和19年、政府が大本営をまるごと
長野県の地下に引っ越すことを目的に作られた。。。程度のことは知って
いたのですが、今回、案内の方の説明を聞いていて、この国の指導者たちは
ほんとうにとんでもない本土決戦を決定していたのだなと実感した次第です。
 そして恥ずかしいことに、この地下壕ができあがることと、民間人にも降伏が
許されなかった沖縄地上戦が緊密にリンクしていたことを、今回はじめて
知ったのでした。
 
 当時沖縄に居た人々は絶対に降伏してはならなかった。実はその理由は
この松代大本営ができあがるまでの時間稼ぎだったのだそうです。
 
 悲惨な戦争の貴重な証拠であるこの地下壕を、戦跡として指定し、保存を
続けてゆこうという動きがあるにもかかわらず、政府の動きが鈍いことも
知らされました。その理由を問うと「それはマイナスの歴史だからではないか」
と案内の方は答えてくれました。
 
 自分があまりに近現代史に対し無知であること、そしてここを戦跡にできない
理由のふたつに胸を痛めながら、雨の降り始めた後半部分を歩きました。
 近くに行く機会があったら、見学することをおすすめします。

青森での取材

 工期に迫られた現場がようやく完了した5月末、取材のために青森県に
おじゃましました。
 
 今回はこれまで経験してきた技術系の話題ではなく、人物の取材。
昭和56年から多くの現場従事者を指導してきた師範のお話をうかがう
というものでした。
 生まれてはじめてのテーマでの取材に、正直ガチガチになっていたの
ですが、そこは数え切れない(のべ、約1万人以上!)作業者と接してきた
大先輩のこと、お会いした瞬間に私の緊張は楽々とほぐされてしまいました(笑)。
 
 一昨年クロアチアで行われた世界伐木チャンピオンシップに、はじめて
エントリーした日本チームの総監督も勤められたその大先輩のお話からは、
技術的なエッセンスはもちろんですが、人と接する際の心構えや、従来の
きこり(先輩はチェーンソーマンとおっしゃっています)としての、この国の
従事者のあり方の問題点が、深い感動とともに伝わってきたのでした。
 
 今年の秋には取材結果が日の目を見る予定です。その際にはまた報告
させていただきます。